ベトナムの枯葉剤、ヒロシマとナガサキの放射能
また、ヒロシマの日がやってきました。今も体調を崩して大変な思いをしているのに、国が認定した地域で被爆していないことを理由に原爆症の認定を受けられない方がいると報道されていました。もう65年も経つというのに・・・。
一方で、国連事務総長の長崎・広島訪問やアメリカの駐日大使が広島平和式典に出席するというニュースは、時代が少しずつ変わっていることを実感させるものでした。しかし、中東やアジアでも核は増え、核廃絶に向けての道のりは依然として険しいです。
偶然ですが、先日、枯葉剤の影響によると思われる癌で旦那さんを亡くされた方とハノイでお会いする機会がありました。この方は旦那さんが亡くなったことを機に枯葉剤について調べ始め、被害を受けたベトナムの人々に対する支援を続けています。ベトナム国内では今でも枯葉剤を浴びたことが原因と見られる病気で苦しむ人が存在し、障害を持つ赤ちゃんが生まれています。アメリカ政府は枯葉剤の被害について認めていませんが、被害を受けた人々に対する支援を約束しています。しかし、実情に比べて支援の規模は小さく、限定されています。
日本で被爆した皆さんと同じく、枯葉剤の被害を受けたベトナムの人々やその家族、そして、従軍している間に枯葉剤を浴びたアメリカの兵士やその家族も、長い間、声を出すことができず、出したとしても無視や差別され、苦しんできました。そして、原爆や枯葉剤を造り兵器として利用したアメリカでは、一般の人々が日本やベトナムで何が起こったのか、知る機会が少ないのです。
今年5月にニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて長崎で被爆された方がアメリカを訪問し、現地の学生に体験を語っていらっしゃいました。多くの学生さんは初めて原爆の被害について話を聞いたようで、中には泣きながら被爆者の話を聞いている人もいました。改めて、顔が見える交流の大切さを感じました。
私個人でできることといえば、例えば、活動を実施しているベンチェ省にも枯葉剤の被害に遭った家族がたくさん住んでおり、経済的な困難を抱えています。彼らの暮らしを改善するための活動を実施することが考えられます。また、原爆の被害についてベトナムの人々に伝えることなどもできるでしょう。できることは限られていますが、やらないよりはやった方が良い。戦争の記憶を次世代に伝えていくためにも。
Posted: 2010年 8月 6日 カテゴリ: 未分類.