歴史を見る視点と、現在を見る視点
今日は終戦記念日です。
朝日新聞の朝刊にドナルド・キーンさんの記事が掲載されていました。太平洋戦争時代、文学者が書きとめた日記を分析し、『日本人の戦争 作家の日記を読む』という本にまとめたということです。
印象的だったのは、ドナルド・キーンさんが「わかったことは、日本人特有の戦争観といったものはない、ということです。戦中、米国の軍人の大変は日本人を狂信的だと思っていたが、日記を読むと実に多様だったことがわかる。現在、単一的にみえるイスラムや北朝鮮などの人々もみなが同じわけではない、ということを伝えたい」と話していたことです。
私達が「北朝鮮は・・・」とか「イスラムは・・・」と話したり、ニュースを聴く場合、どんな人を思い浮かべているのでしょう。改めて聞かれてみると、?という方が多いのではないでしょうか。
普段の会話の中でも「●●という国は▲▲だ」などと言うことがあります。私も「ベトナムは○○です」と断定したようなことを言うことがあります。こう話すと、白黒がはっきりした感じがして、聴いてくださる皆さんにとっても、わかりやすいと思います。
でも、現実は白か黒か、とはっきりいえないグレーゾーンが多いのではないでしょうか。例えば、「ベトナム」と一口でいっても、北部・中部・南部で歴史も風土も人々の暮らしや考え方も異なっていますし、54の民族グループがあり、それはそれは多様な面を持つ国です。知れば知るほど、わからなくなる。だから、単純に「ベトナムは・・・」といえなくなってくるのです。
それに、各地に知っている方がいたりすると、「ベトナム」とか「●●省」という地名よりも「○○さん」という名前と笑顔が思い浮かぶようになります。その地にあの人がいる。そう思うだけで、何だか心が和んだりします。
大切なことは、どんな国にも、その地で生まれ育った、たくさんの人が家族と共に暮らしている、という当たり前のことを意識することではないか。そして、政治的には単一の体制、価値観をアピールしているかも知れないが、人々の気持ちや考え方はそう簡単に一つになりえない、ということも改めて認識する必要があると思いました。
終戦記念日に思ったことを徒然なるままに記し、終わります。
Posted: 2009年 8月 15日 カテゴリ: 未分類.


